A 千円古札 B 五千円新札
録音地 ………… 都内ラーメン屋レジ
B うわあ
A うるさい。静かにしろ
B どうもにぎやかなところだ。落ち着かないな
A ん?
B あ。は、初めまして
A おまえ、新入りだな
B ええ。わかります?
A 見りゃわかるよ。板みたいに背筋のばして…。何だおまえ、五千円か
B はい
A 五千円は隣だろ
B あ。ほんとだ。いや、あの、レジのお兄さんが間違えたみたいで大変ですね。
お昼のラーメン屋さんって、忙しくて。ぼく、初めて来ました
A おいおい、おまえ本当に初めてなのか
B ええ、そうです
A まさか銀行から直行か
B はい。さっき下ろされてきたばかりです
A しょうがない。それじゃ俺が、お札の何たるかを一から教えてやるか
B 失礼ですが、ずいぶん長いんですか
A 長いなんてもんじゃないよ。こう見えても夏目漱石の第1期生だからな
B え。じゃあ、先輩と同期だ
A 先輩?
B ええ。YGの355267Tです。知りません?
A 知らないよ
B そうですか…
A まあ、楽にして聞いてくれ。そんなに肩肘張らなくていいから
B あの、まだ折り目がついてないもんで、どこで体を曲げていいやらわからないんです
A ああ、そうか。俺なんかもう、折られまくりだから。
この、「千」と「円」の間のところ見えるか?
B あれ。セロテープが
A あんまり折られて、破れかけたよ。
前の前の人が親切にしてくれたから助かったけど、
おかげで俺はもう、自動販売機には入っていけない体だ
B 大変なんですね
A 人ごとじゃないぞ。おまえだってそのうちにだな
B でも、お父さんが「五千円は少し大事にされる」って言ってました
A ま、まあ、そうだけど…
B あれ、ここはどうしたんですか?
A う、うるさい
B なんかボールペンで落書きが
A それだけは言うな
B 10桁か…。電話番号ですね?
A そうなんだよ!ひどいだろ?普通、電話番号メモするか?俺たちお金だぜ?
B お、落ち着いて下さい
A それもアートネイチャーの番号だぞ?覚えやすいんだから覚えろよ!
B 悩んでたんですよ、きっと
A 透かしのところ、断りもなくノートにしやがって。あいつだけは許せん。
今度巡りあったら、ただじゃおかないぞ。絶対、復讐してやる
B そういうこと、あるんですか?
A 何が?
B だから…、同じ人のところに、もう一回行くことですよ
A ほとんどない
B じゃあ、復讐できないじゃないですか。…ところで、どう復讐するんです?
A まあ、財布から落ちてみたりね
B ははあ、確かにショックはありますね。でも、千円じゃな〜
A 何か言ったか
B いえ。何も
A だが、俺の長いお札人生の中で、一回だけそういうことがあった
B 同じ人のところに? へえ。あるんですねえ
A まあ、これもあまり思い出したくないんだけど
B あ、じゃあ、いいです
A ここまで聞いたら聞け!
B うわあ。はい、はい、わかりました
A 俺の夏目漱石、よれよれだろう?
B え? あ、ほんとだ
A 顔のところで何重にも縦に折られてな
B え。もしかして
A 下から見て笑ってる、上から見て怒ってる、あれだよ
B うわ、お札にとって最大の屈辱!
A しかもつまんないだろ? つまんないよな?
B まったくです
A そんな屈辱を受けて2年、ようやくしわも伸びて、すべてが思い出に変わる頃…
B またそいつのところに転がり込んだわけですね?
A ああ…。しかも、同じことやられたよ
B うわ〜
A 同じことやらなくてもいいと思わないか? そうだろ?
人間2年も経ったら少しは進歩するもんじゃないのか?
B 先輩は、なんか運が悪いですね
A おまえはいいよ。銀行から来て、すぐレジだろ。順調な滑り出しだ
B そうですか? ぼくはできればこんなラーメン屋じゃなく
一流レストランとかがよかったんですけど
A おまえ、何もわかってないな
B どうして?
A 最近はカードが増えて、なかなか潜り込めないんだよ。そういうところは
B ははあ、そういうもんですか
A 俺なんか、銀行から来ていきなり銭洗い弁天だよ?
B ハードですね
A こちとら紙で出来てんのに無茶しやがって
B お札って、大変なんですねえ。自信なくなってきちゃったな
A そのあと競馬場行って、居酒屋行って、ファッションマッサージ行って、ここだよ
B 裏街道まっしぐらじゃないですか
A 俺にも、若い頃は夢があったけどね
B どんな夢ですか?
A やっぱりアタッシュケースに入りたかったね
B うんうん
A こう、なんか上品な感じするだろ? …お。レジが開いた
B うわ、まぶしい
A 九千円のお釣りだってよ。こりゃひょっとして
B うわ、つかまれた。もっと優しくして
A しばらく一緒の旅に出ることになりそうだ
B よろしくお願いします
A しかし店内はニンニク臭いなあ(以下無音)